投稿日:2023年1月22日YUNAさんのやすらひ
修行先で10年務め、今日は念願のオープン日です。
こんな北の大地の森の中で、お客様なんてせいぜいキツネかリスくらいだと師匠や先輩達には笑われたけど、それでもみんな暖かく背中を押してくれました。
カウンターだけの小さな店ですが、今日はどんなお客様に出逢えるのか、私もとても楽しみです。
さあ。開店時刻の7時になりました。
BAR FOREST オープンです。
「こんばんは!」
「いらっしゃいませ」
オープン初日の初めてのお客様は、黄色のカッパに青い長靴をお召しになった、とてもとても小さな方でした。
どう見ても未成年、いや、小学生くらいでしょうか。
傘をお持ちでは無いようで、ご自身よりも大きなフキを雨よけに差し、ちょこんとドアの前で私を見上げています。
まだ7時とはいえ、こんな暗い森の中、子供が一人で来店するなんて迷子でしょうか。
それとも昔、私がまだ銀座で修行をしていた頃。
毎年北海道からお越しになる彫刻家のお客様から、向こうの森にはコロポックルという不思議な存在がいるのだと教えて貰いましたが、まさか……コロポックル……?
「君、一人でどうしたの?お父さんとお母さんは?」
「パパとママはいない。ぼくだけで来た」
小さなお客様がポケットの中からマジックテープのお財布を取り出しベリベリと開け、ゆっくりゆっくりと小銭を数え始めました。
どうやら、コロポックルではなさそうです。
「ひゃくえん、いちえん、いちえん、じゅうえん、いちえん」
数えるのに時間がかかりそうですから、ひとまず私は中へ案内し、一生懸命に小銭を数えるお客様の濡れた髪をタオルで拭いて差し上げ、そのまましゃがんで様子を見守ることにしました。
やがて小さなお客様は手のひらに小銭を広げて、得意げな様子で私に見せてくれました。
「ぜんぶで138えんもあるよ」
「うん。たくさんあるね」
小さなお客様は満足げにニコニコしています。
私も一緒にニコニコしていました。
しとしとと振り続ける雨音と寂しげな鹿の群れの鳴き声が窓の外から聴こえて来ます。
「お腹空いているでしょう?サンドイッチ、食べる?」
「ううん。ごはんたべてきた」
「じゃあジュースでも飲むかい?」
「ぼくおとなだからあれがいい」
お客様はバックバーに並べてあった、モスグリーンの美しいボトル、ラフロイグ10年を指差しました。
ピートの香り豊かなアイラモルトがお好き……そんなワケはなさそうです。
「じっちゃんが、いつもあれのんでる」
「そうなんだね。じゃあ、大人が飲むオレンジジュース、飲んだことあるかい?」
「ない」
「OK。作ってあげる。しぼりたてで美味しいよ。特別に赤くて甘いシロップも入れてね」
嬉しそうに小躍りをしている小さなお客様の手を繋ぎ、カウンターにお子様向けの椅子をお持ちすると、キラキラと目を輝かせながら椅子に腰かけ、辺りをキョロキョロと見回しています。
「ねえ、おにいさんマスターっていうんでしょ?」
「そうだよ。よく知っているね」
「じっちゃんがいってた」
「お爺ちゃんと一緒に住んでいるの?」
「うん。じっちゃんとばっちゃんと住んでる」
「そうなんだ」
私はお話を聴きながら、ペティナイフで仕入れたての鮮やかなオレンジを次々と切り、スクイザーに乗せて絞りました。
力を込めてレバーで押し潰す度にふわりとオレンジの香りが辺りに漂います。
小さなお客様は身を乗り出して香りを楽しみ、じっとオレンジが絞られジュースになる様子を楽しげに眺めています。
やがて小瓶に溜まったオレンジジュースをお子様用のグラスへ移し、仕上げに一匙の赤いグレナデンシロップをそおっと静かにグラスの底へ沈めました。
「出来ました。大人のオレンジジュースです」
「わぁ、マスター、ありがとう!」
小さなお客様は一心不乱にストローを啜り、オレンジ色の液体はみるみると膨らんだほっぺの中へと消えて行きます。
「うん!おいしい!」
「それはよかった。ねえ、君は今日、どうしてここに来たの?」
「あのね、マスター、ぼく……すきな子にふられちゃった」
おやおや。
大きな目からボロボロと涙をこぼし、小さなお客様はカウンターに伏せて泣き続けています。
私は厨房からボックスティッシュをお持ちし、お客様の鼻を拭いて差し上げました。
「子どもっぽい子は、やなんだって。ぼくはすぐなくから、ダメなんだって」
「そうだったんだね。でも、男だって、泣きたくなる時はあるよ」
「マスターも?」
「うん。私は今でも泣いちゃう」
「それじゃあ、すきな子にふられちゃうよ」
「ははは!そうかも!でもね、私は泣いてる私も、情けない私も大好きなんだ。君は?」
「え?」
「でも、なくのはわるいことだよ」
「どうして?」
「おとこらしくないから」
「そうなの?」
「わかんない」
「私も、よく分からなくてね」
「おとななのに?」
「うん。でもね、自分らしければ良いと思うんだ」
「じぶんらしく?」
「そう。だって、美味しい物を飲んで嬉しい時も自分だし、悲しい時に泣いている気持ちも、おんなじ自分だからね」
「そっかぁ」
「ん。だから、どんな自分とも仲良くなれたら素敵だよね。そうしたら、きっと、いつだって明日は今日よりも楽しくなる、私はそう思うんだ」
「マスターはたのしい?」
「楽しいよ。それに、大人はとっても楽しいんだ」
「いいなぁ。ぼくもはやくおとなになりたい」
「でも、子どもだけの楽しみもあるでしょう?私も子どもになりたいなぁ」
「むりだよ。マスターはもうおとなだもん」
「そっかあ」
「おおい!ここにいたのか!」
「じっちゃん!」
勢い良くドアが開くと、きっと慌てて飛んで来たのでしょう。
どこかで見たことのあるお爺さんが、傘を下げたままずぶ濡れで、息を切らせて立っていました。
「マスター!うちの孫が、俺より先に来ちまったみたいで。テーブルにこの子の字で書き置きがあって、慌ててすっ飛んで来たよ!」
そうだ。銀座にいた頃、北海道から毎年足を運んでくれていた、彫刻家のお客様。
きっと私が送った開店のお知らせの手紙を見て心に留めて下さったのだろう。
ああ、今度は私のお店のカウンターでまたお会いする事が出来るだなんて。
本当に、嬉しい。
「マスターにナイショばなしがあったんだもん。ねえ、マスター。おなじのをもういっぱい!」
「ったく、誰に似たんだ、俺だな。間違いねぇ」
「ははは。外は雨で寒いでしょう。二人とも、ゆっくりしていってください」
私はお爺さんにタオルを渡し、しゃがんで薪ストーブに火を付けました。 パチパチと暖かな火が爆ぜて、穏やかな木の香りが広がります。
「マスター、開店おめでとう!隣近所だから、これからは散歩ついでに来れるのが嬉しいよ」
「これからもよろしくね、マスター」
「こちらこそ。BAR FORESTへ、ようこそ」
その日以来、お店のメニューには新しく「大人のオレンジジュース」が加わりました。
そして、お爺さんのキープボトルとなったラフロイグ10年は、今日もバックバーで美しく、深い森のように輝きながら佇んでいます。
さて。
明日はどんな素敵な出逢いがあるのでしょう。
それでは。
良い夢を。
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北の大地の森の中で、小さなバーの明かりがひっそりと灯った。
自然豊かな森の中でバーを開くのが夢でした。修行先で10年務め、今日は念願のオープン日です。
こんな北の大地の森の中で、お客様なんてせいぜいキツネかリスくらいだと師匠や先輩達には笑われたけど、それでもみんな暖かく背中を押してくれました。
カウンターだけの小さな店ですが、今日はどんなお客様に出逢えるのか、私もとても楽しみです。
さあ。開店時刻の7時になりました。
BAR FOREST オープンです。
「こんばんは!」
「いらっしゃいませ」
オープン初日の初めてのお客様は、黄色のカッパに青い長靴をお召しになった、とてもとても小さな方でした。
どう見ても未成年、いや、小学生くらいでしょうか。
傘をお持ちでは無いようで、ご自身よりも大きなフキを雨よけに差し、ちょこんとドアの前で私を見上げています。
まだ7時とはいえ、こんな暗い森の中、子供が一人で来店するなんて迷子でしょうか。
それとも昔、私がまだ銀座で修行をしていた頃。
毎年北海道からお越しになる彫刻家のお客様から、向こうの森にはコロポックルという不思議な存在がいるのだと教えて貰いましたが、まさか……コロポックル……?
「君、一人でどうしたの?お父さんとお母さんは?」
「パパとママはいない。ぼくだけで来た」
小さなお客様がポケットの中からマジックテープのお財布を取り出しベリベリと開け、ゆっくりゆっくりと小銭を数え始めました。
どうやら、コロポックルではなさそうです。
「ひゃくえん、いちえん、いちえん、じゅうえん、いちえん」
数えるのに時間がかかりそうですから、ひとまず私は中へ案内し、一生懸命に小銭を数えるお客様の濡れた髪をタオルで拭いて差し上げ、そのまましゃがんで様子を見守ることにしました。
やがて小さなお客様は手のひらに小銭を広げて、得意げな様子で私に見せてくれました。
「ぜんぶで138えんもあるよ」
「うん。たくさんあるね」
小さなお客様は満足げにニコニコしています。
私も一緒にニコニコしていました。
しとしとと振り続ける雨音と寂しげな鹿の群れの鳴き声が窓の外から聴こえて来ます。
「お腹空いているでしょう?サンドイッチ、食べる?」
「ううん。ごはんたべてきた」
「じゃあジュースでも飲むかい?」
「ぼくおとなだからあれがいい」
お客様はバックバーに並べてあった、モスグリーンの美しいボトル、ラフロイグ10年を指差しました。
ピートの香り豊かなアイラモルトがお好き……そんなワケはなさそうです。
「じっちゃんが、いつもあれのんでる」
「そうなんだね。じゃあ、大人が飲むオレンジジュース、飲んだことあるかい?」
「ない」
「OK。作ってあげる。しぼりたてで美味しいよ。特別に赤くて甘いシロップも入れてね」
嬉しそうに小躍りをしている小さなお客様の手を繋ぎ、カウンターにお子様向けの椅子をお持ちすると、キラキラと目を輝かせながら椅子に腰かけ、辺りをキョロキョロと見回しています。
「ねえ、おにいさんマスターっていうんでしょ?」
「そうだよ。よく知っているね」
「じっちゃんがいってた」
「お爺ちゃんと一緒に住んでいるの?」
「うん。じっちゃんとばっちゃんと住んでる」
「そうなんだ」
私はお話を聴きながら、ペティナイフで仕入れたての鮮やかなオレンジを次々と切り、スクイザーに乗せて絞りました。
力を込めてレバーで押し潰す度にふわりとオレンジの香りが辺りに漂います。
小さなお客様は身を乗り出して香りを楽しみ、じっとオレンジが絞られジュースになる様子を楽しげに眺めています。
やがて小瓶に溜まったオレンジジュースをお子様用のグラスへ移し、仕上げに一匙の赤いグレナデンシロップをそおっと静かにグラスの底へ沈めました。
「出来ました。大人のオレンジジュースです」
「わぁ、マスター、ありがとう!」
小さなお客様は一心不乱にストローを啜り、オレンジ色の液体はみるみると膨らんだほっぺの中へと消えて行きます。
「うん!おいしい!」
「それはよかった。ねえ、君は今日、どうしてここに来たの?」
「あのね、マスター、ぼく……すきな子にふられちゃった」
おやおや。
大きな目からボロボロと涙をこぼし、小さなお客様はカウンターに伏せて泣き続けています。
私は厨房からボックスティッシュをお持ちし、お客様の鼻を拭いて差し上げました。
「子どもっぽい子は、やなんだって。ぼくはすぐなくから、ダメなんだって」
「そうだったんだね。でも、男だって、泣きたくなる時はあるよ」
「マスターも?」
「うん。私は今でも泣いちゃう」
「それじゃあ、すきな子にふられちゃうよ」
「ははは!そうかも!でもね、私は泣いてる私も、情けない私も大好きなんだ。君は?」
「え?」
「でも、なくのはわるいことだよ」
「どうして?」
「おとこらしくないから」
「そうなの?」
「わかんない」
「私も、よく分からなくてね」
「おとななのに?」
「うん。でもね、自分らしければ良いと思うんだ」
「じぶんらしく?」
「そう。だって、美味しい物を飲んで嬉しい時も自分だし、悲しい時に泣いている気持ちも、おんなじ自分だからね」
「そっかぁ」
「ん。だから、どんな自分とも仲良くなれたら素敵だよね。そうしたら、きっと、いつだって明日は今日よりも楽しくなる、私はそう思うんだ」
「マスターはたのしい?」
「楽しいよ。それに、大人はとっても楽しいんだ」
「いいなぁ。ぼくもはやくおとなになりたい」
「でも、子どもだけの楽しみもあるでしょう?私も子どもになりたいなぁ」
「むりだよ。マスターはもうおとなだもん」
「そっかあ」
「おおい!ここにいたのか!」
「じっちゃん!」
勢い良くドアが開くと、きっと慌てて飛んで来たのでしょう。
どこかで見たことのあるお爺さんが、傘を下げたままずぶ濡れで、息を切らせて立っていました。
「マスター!うちの孫が、俺より先に来ちまったみたいで。テーブルにこの子の字で書き置きがあって、慌ててすっ飛んで来たよ!」
そうだ。銀座にいた頃、北海道から毎年足を運んでくれていた、彫刻家のお客様。
きっと私が送った開店のお知らせの手紙を見て心に留めて下さったのだろう。
ああ、今度は私のお店のカウンターでまたお会いする事が出来るだなんて。
本当に、嬉しい。
「マスターにナイショばなしがあったんだもん。ねえ、マスター。おなじのをもういっぱい!」
「ったく、誰に似たんだ、俺だな。間違いねぇ」
「ははは。外は雨で寒いでしょう。二人とも、ゆっくりしていってください」
私はお爺さんにタオルを渡し、しゃがんで薪ストーブに火を付けました。 パチパチと暖かな火が爆ぜて、穏やかな木の香りが広がります。
「マスター、開店おめでとう!隣近所だから、これからは散歩ついでに来れるのが嬉しいよ」
「これからもよろしくね、マスター」
「こちらこそ。BAR FORESTへ、ようこそ」
その日以来、お店のメニューには新しく「大人のオレンジジュース」が加わりました。
そして、お爺さんのキープボトルとなったラフロイグ10年は、今日もバックバーで美しく、深い森のように輝きながら佇んでいます。
さて。
明日はどんな素敵な出逢いがあるのでしょう。
それでは。
良い夢を。